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前文(第一次案)

「東アジア歴史・人権・平和宣言」前文(第一次案)(2010年4月16日) 6.16 7.5修正 7.12アップ

「東アジア歴史・人権・平和宣言」前文(第一次案)
(2010年4月16日)

<前文>

2010年は日本が韓国を強制併合した韓国併合ニ関スル条約(韓国併合条約)から100年にあたり、この間に近代日本の対外膨張主義、帝国主義的政策が飛躍的に深化したことを想起し、

日本による植民地主義や侵略戦争によって蹂躙され、悲惨な状況に置かれ、生命と暮らしを破壊された東アジアの人民にとって数多くある節目のなかでも特に重要な年の一つであることを踏まえ、

東アジアにおける現在および未来の世代に真の平和と友好を築いていくための一つの出発点とするべき年でもあるとの思いを共有し、

そのための討論、情報交換、真相解明、連帯の共同作業を継続的に行うことが、東アジアのNGO(人民、民衆・・)にとって必須の政治課題であることを認識し、

A ダーバンからの道

2001年9月8日、南アフリカ共和国のダーバンで開催された「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議」において「ダーバン宣言・行動計画(DDPA)」が採択されたことを想起し、

ダーバン宣言・行動計画(DDPA)が、「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容が、人種、皮膚の色、門地(世系)またはナショナルあるいはエスニックな出身に基づいて発生し、被害者は、性、言語、宗教、政治その他の意見、社会的出身、財産、出生、またはその他の地位などの関連のある理由に基づいて、複合的でいっそう悪化する差別を被ることを認める」と述べたことに留意し、

ダーバン宣言・行動計画(DDPA)が、とりわけ、「大西洋越え奴隷取引などの奴隷制度と奴隷取引は、その耐え難い野蛮のゆえにだけではなく、その大きさ、組織された性質、とりわけ被害者の本質の否定ゆえに、人類史のすさまじい悲劇であった。奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪であり、とりわけ大西洋越え奴隷取引はつねに人道に対する罪であったし、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の主要な源泉である。アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は、これらの行為の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けている」と宣言したことに感謝し、

さらにダーバン宣言・行動計画(DDPA)が、「植民地主義が人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらし、アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める。植民地主義によって苦痛がもたらされ、植民地主義が起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねばならないことを確認する。この制度と慣行の影響と存続が、今日の世界各地における社会的経済的不平等を続けさせる要因であることは遺憾である」と確認したことを想起し、

2009年4月24日、スイスのジュネーヴで開催された「ダーバン検討会議」が、ダーバン宣言・鼓動計画(DDPA)の具体的な履行を呼びかけたことを想起し、

東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のる不寛容に反対するための人民とNGOのこれまでの取組みに感謝し、

2001年12月8日、オランダのハーグにおいて言い渡された「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」判決が、日本が第二次大戦前および戦中に行った日本軍性奴隷制が人道に対する罪と戦争犯罪であると認定し、自ら犯罪を行った個人のみならず、日本政府の犯罪関与責任を認定して、不処罰の連鎖に終止符を打とうとしたことを想起し、

2003年7月25日、平壌で言い渡された「朝鮮におけるアメリカの犯罪に関する平壌国際法廷(コリア戦犯法廷)」判決が、朝鮮戦争に際して、アメリカ政府が朝鮮において行った犯罪行為すべてについて公的謝罪をし、朝鮮人民の物的精神的損失につき適正な補償をしなければならないと判断したことを想起し、

2006年3月31日の「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の現代的諸形態に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエンの報告書」が、日本政府に対して、日本社会に人種差別や外国人排斥が存在する事を、正式かつ公的に認めるべきであると述べると共に、人種差別禁止法の制定を勧告したことを想起し、

2007年9月13日、国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が、「すべての民族が異なることへの権利、自らを異なると考える権利、および異なる者として尊重される権利を有することを承認するとともに、先住民族が他のすべての民族と平等であることを確認」し、第2条が「先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティに基づく差別からも自由である権利を有する」とし、第8条が「 先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する」と、同化を強制されない権利を定めたことに留意し、

2008年5月9日、国連人権理事会が、その普遍的定期審査(UPR)の結果として、「5  第二次世界大戦中の『慰安婦』問題に関する、国連諸機関(女性に対する暴力に関する特別報告者、女性差別撤廃委員会および拷問禁止委員会)による勧告に誠実に対応すること(韓国)」、「6 国内法を平等・非差別の原則に合致するように適応させること(スロベニア)、あらゆる形態の差別を定義し禁止する法律の制定を検討すること(ブラジル)、刑法に差別の定義を導入することを検討すること(グアテマラ)、緊急の課題として、人種主義、差別、外国人嫌悪に対する国内法を制定すること(イラン)」、「8 少数者に属する女性が直面する問題に取り組むこと(ドイツ)」、「9 在日朝鮮人に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための措置をとること(朝鮮民主主義人民共和国)」、「10 日本における継続的な歴史の歪曲の状況に取り組む緊急措置をとること。これは、過去の人権侵害および再発の危険性に取り組むことを拒否している現れであるためである。また、現代的形態の人種主義に関する特別報告者からも呼びかけられたように、この状況に取り組む緊急措置を勧告する(朝鮮民主主義人民共和国)」、「18 軍隊性奴隷問題、および朝鮮を含む諸国で過去に犯した人権侵害に取り組むため、具体的な措置を講じること(朝鮮民主主義人民共和国)」と総括したことに感謝し、

2008年10月30日の「市民的政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」に基づく人権委員会(自由権規約委員会)が、日本政府報告書の審査の結果として公表した最終見解において、「日本政府は『慰安婦』制度について法的責任を受け入れ、被害者の大多数が受け入れることができる、かつ被害者の尊厳を回復する方法で、留保なしに謝罪するべきである。まだ生存している実行者を訴追するべきである。すべての生存者に権利として適切な補償をするために即座に効果的な立法措置および行政措置を講じるべきである。この問題について学生および一般公衆に対して教育するべきである。被害者を貶めたり、事実を否定しようとする試みを非難し、制裁を課すべきである」と述べたことを想起し、

2009年8月7日、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約)に基づく女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、日本政府報告書の審査の結果として公表した最終見解において、「37 委員会は、「慰安婦」の状況に対処するために締約国がいくつかの措置をとったことに留意するが、第二次世界大戦中に被害を受けた「慰安婦」の状況について締約国が永続的解決を見出していないことを残念に思い、学校教科書からこの問題に関する記述が削除されたことに懸念を表明する」、「38 委員会は、「慰安婦」の状況について、被害者補償、加害者訴追、これらの犯罪に関する公衆に対する教育を含む、永続的解決を見出す努力を締約国が緊急に行うべきとの勧告を繰り返し表明する」と指摘したことを想起し、

2010年2月24日、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約、ICERD)に基づく人種差別撤廃委員会(CERD)が、日本政府報告書の審査の結果として公表した最終見解において、「アイヌ民族の代表との協議の結果を、アイヌの権利に明確に焦点を当てた行動計画を含む政策やプログラムに結実させるべく、アイヌ民族の代表とともにさらに歩みを進めるよう、また、そうした協議へのアイヌ民族の代表者の参加を増大させるよう勧告する」、「委員会は締約国に対し、沖縄の人びとの被っている差別を監視し、彼らの権利を推進し適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人びとの代表と幅広い協議を行うよう奨励する」、「委員会は、市民でない人びとへの差別に関する一般的勧告30(2004年)に照らし、締約国に対し、教育機会の提供に差別がないようにすること、そして締約国の領土内に居住する子どもが就学および義務教育達成にさいして障害に直面することのないようにするよう勧告する。この点にかかわって、委員会はさらに、締約国が、外国人のための多様な学校制度や、国の公立学校制度の外に設置された代替的な体制の選択に関する調査研究を行うよう勧告する。委員会は締約国に対し、マイノリティ集団が自らの言語を用いた、もしくは自らの言語に関する、指導を受ける充分な機会の提供を検討するよう奨励する。そして、教育における差別を禁止するユネスコ条約への加入を検討するよう促す」、「人種的優越あるいは憎悪に基づく意見の流布の禁止は意見および表現の自由と両立するという見解を繰り返す、そしてこの点において、締約国に、条約第4条(a)(b)の留保の範囲の縮小と望ましくは撤回を前提に、留保の維持の必要性を検討することを奨励する」と勧告したことを想起し、

2010年6月11日、子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)に基づく子どもの権利委員会が、日本政府報告書の審査の結果として公表した総括所見において、「民族的マイノリティに属する子ども、日本人でない子どもに対して実際に行なわれている差別を減らし、かつ防止するため、意識啓発キャンペーンや人権教育を含む必要な措置をとること」、「中国系、北朝鮮系などの子どもを対象とした学校への助成金が不十分であることを懸念する。これらの学校卒業生が日本の大学入学試験を受けられない場合があることを懸念する」、「締約国に対し、外国人学校への助成金を増額し、大学入試アクセスにおいて差別が行なわれないよう確保するよう奨励する。締約国は、ユネスコの教育差別禁止条約批准を検討するよう奨励される」、「日本の歴史教科書において歴史的出来事に関する日本側の解釈しか記述されていないため、異なる地域の国々出身の子どもの相互理解が増進されていないという情報があることを懸念する」、「検定教科書においてアジア・太平洋地域の歴史的出来事に関するバランスのとれた見方を提示するよう確保することを勧告する」としたことを想起し、

同様に、国際労働機関(ILO)の条約適用専門家委員会が、1996年以来、日本軍性奴隷制度および強制連行問題に関連して情報を収集し、日本政府との意見交換を踏まえて、さまざまな問題解決のための措置を提案してきたことに留意し、

B 東アジアにおける植民地主義克服の不十分さ

東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された各種の懸案事項が、第二次大戦終了後60年余を隔てても、なお未解決のまま放置されていることが国際社会において繰り返し論議をと呼び起こし、東アジアにおける諸人民の平和と安全を害する効果を持ち、戦争と植民地支配の被害者に対して、彼女/彼らに保障されるべき補償やリハビリテーションを得られることもなく、却って忘却と放任のゆえに継続的に被害を受けつつけている恐れのあることに思いを馳せ、

東アジアにおける戦争と植民地支配の結果として残された、東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の被害者となりうる人々が、いまなお東アジアのそれぞれの地域において、人種差別や外国人排斥に晒されていることに遺憾の意を表明し、

東アジアにおける戦争と植民地支配の終結に向けて1943年11月27日、エジプトのカイロで発せられたカイロ宣言が、「三大同盟国は、日本国の侵略を静止し罰するため、今次の大戦を行っている」、「第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」と声明したことを想起し、

1945年7月26日に発せられ、同年8月14日に日本国が受諾したポツダム宣言が、「吾等は、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は、平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張する」とし、カイロ宣言の条項の履行を確認し、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし」と述べ、たことを想起し、

1945年9月2日の日本国の「降伏文書」が、「ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること」と確認したことを想起し、

1946年1月19日の極東国際軍事裁判所憲章(東京裁判憲章)に基づいて開催された極東国際軍事裁判所(東京裁判)が、1948年11月4日、その判決において、被告人らによる侵略戦争遂行の共同謀議があったこと、並びに、対中国、米国、英国、蘭国、仏国の侵略戦争の遂行などを認定したことを想起し、

極東国際軍事裁判所判決が、日本軍性奴隷制の大半、七三一部隊の細菌戦などを裁くことがなく不十分なものに留まったこと、他方で、広島・長崎への原爆投下をはじめとする連合国による戦争犯罪と人道に対する罪を裁くことがなかったことを確認し、

ナチス・ドイツによる戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判以後も、連合国による「継続裁判」や、ドイツの司法機関によるナチス謀殺罪の裁判のように、戦争犯罪と人道に対する罪を裁く試みが、一部のいわゆるBC級戦犯裁判を例外として、日本に関しては行われなかったことを想起し、

1952年4月28日の「日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)」が、その第11条が「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」すると確認したことを想起し、

サンフランシスコ条約よって戦争処理が行われなかった諸地域について、とりわけ1965年6月22日に署名された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」が、「善隣関係および主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化」のために外交関係を樹立したこと、1972年9月29日の日中共同声明が「これまで存在していた不正常な状態に終止符を打」ち、「両国の平和友好関係を樹立した」ことを想起し、

同時に日韓条約及び日中共同声明が、結果として、数多くの戦争処理を未解決に終わらせたために、その後も長期にわたって数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日もなお当該地域における平和、安全、善隣友好の障害要因となっていることを想起し、

さらに、例えば、1955年11月5日の日本とビルマ連邦との間の平和条約、1956年5月9日の日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定、1958年1月20日の日本国とインドネシア共和国との間の賠償協定、1959年5月13日の日本国とヴェトナム共和国との間の賠償協定などによって、日本がかつて占領した地域の主権国家との間で戦争賠償を進めたことを確認し、

同様に、これらの戦時賠償によっては見落とされた数多くの戦争処理が未解決に終わり、数多くの戦争被害者による戦後補償要求運動が提起され、今日に至っていることを想起し、

東アジア地域の諸国に対して日本から支払われた戦時賠償が、必ずしも被害を受けた現地の人々の手に渡ることがなかったことを想起し、

それゆえ、日本の戦争と植民地支配に終止符を打つためのさまざまな試みが、いずれも途半ばにおいて頓挫し、このことが東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の主要な原因となっていることに遺憾の意を表明し、

C 植民地主義の克服のために

東アジアにおける人種主事、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容を克服し、自由と人権が保障され、平和、安全、正義が保障される秩序が構築されることを切実に願って、

東アジアの民衆(人民、市民)、NGOは、ここ*****に結集し、

東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容という災難と完全に効果的に優先事項として闘い、世界のすべての部分における人種主義の現象と過去の経験に、再発を回避する観点で学ぶことに専念し、

本年が、日本が大韓帝国を併合した1910年8月22日の韓国併合条約から100年に当たることを記憶し、

朝鮮人民が、韓国併合以前も併合以後も、日本の侵略戦争と植民地支配に抵抗し、朝鮮人民の独立を求めて闘い続けたことに思いを馳せ、

第二次大戦後も、大韓民国(ROK)民衆(人民、市民)が真の独立と民主化を求め、東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容を克服するために、苦難の日々を闘いぬいたことを想起し、

韓国民主化運動と連帯した日本民衆が、韓国民衆の闘いに学びながら、東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連ある不寛容を克服するため、すなわち自らの内部に潜む差別と闘うために努力を続けたことを想起し、

他方、カイロ宣言並びにポツダム宣言にもかかわらず、朝鮮半島に強いられた不幸な分断のため、日本が朝鮮民主主義人民共和国と不正常な関係を続け、今日もなお国交正常化を実現していないことに遺憾の意を表明し、

朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)人民が、東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連ある不寛容を克服するために永年の貢献を続けたことを想起し、

朝鮮民主主義人民共和国人民と連帯した日本民衆が、東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連ある不寛容の克服のために努力を積み重ね、とりわけ在日朝鮮人に対して日本政府が加えてきた激しい差別と弾圧に抗議して、人権を求めて闘う在日朝鮮人とともに、人権擁護の旗を掲げ続けてきたことを想起し、

普遍的・不可分・相互依存・相互関係的であるすべての人権、経済・社会・文化・政治的権利の完全な享受を保証するために、すべての諸国の男性・女性・子どもの生活条件を改善するために、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容と闘う国内活動と国際活動が求められていることを認め、

人権の促進と保護のための、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容と闘う目標を達成するための、国際協調を強化する重要性を再確認し、

国際社会、政府、地方自治体が行った努力にもかかわらず、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容という災難が継続して、人権侵害、苦痛、不遇、暴力をもたらしており、適用できるすべての適切な措置によって、最優先事項として、できれば影響を受ける共同体と協力して、これと闘わなければならないことを完全に認め、

各国には、すべての被害者の人権と基本的自由を保護・促進する義務があり、各国は、女性が直面する多元的な差別の形態を認めて、ジェンダー観点を採用するべきであり、女性が市民・政治・経済・社会・文化の権利を享受することが世界中の社会の発展に必要であることを再確認し、

世界のグローバル化の進行が、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の廃止の闘いに関して、挑戦とチャンスの双方をもたらしていることを認め、

グローバル化とテクノロジーが人びとを一つにまとめつつある時代に、平等・尊厳・連帯を基礎とした人間家族の観念を実現し、21世紀を人権の世紀とし、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容を廃止し、すべての個人と人民にとって機会と取り扱いの真の平等の実現の世紀とすることを決意し、

人民の平等権と自己決定の原則を再確認し、すべての個人が尊厳と権利において平等に生まれていることを想起し、その平等が最優先事項として保護されなければならないことを強調し、すべての形態の人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容を廃止する観点から、迅速で、断固とした、適切な措置をとることが各国の義務であることを認め、

普遍的平等、正義、尊厳への新しい政治意思と公約にともに参加して、世界中すべての人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容のすべての被害者の記憶に敬意を表し、われわれは厳粛に、この「*****宣言」を採択し、具体的取り組みを進めるために「行動計画」を作成するよう呼びかける。


企画・全文

呼びかけ人

構成

2010年4月16日UP
宣言・前文(第一次案)2010年4月16日

宣言・Ⅰ 総論(第一 次案)

宣言・Ⅱ 原因と形態 (第一次案)  

宣言・Ⅲ 差別の被害者(第一次案)

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の一

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の二

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の三

「宣言および行動計画・構成案」  2010年4月18日アップ

6.24第一回公開検討会の案内



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# by e-asia-hhpa2 | 2010-06-16 04:05

総論・第一次案

「東アジア歴史・人権・平和宣言」総論(第一次案)(2010年4月16日)7.5修正 7.12アップ

「東アジア歴史・人権・平和宣言」総論(第一次案)
(2010年4月16日)

Ⅰ 総論

1 東アジアの定義

本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、近代日本国家が、18世紀以来の西欧帝国主義のこの地域への膨張と侵略に触発されて、対外的膨張を試みて、軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した植民地、軍事的に侵略行為を行った結果としての占領地、さらに軍事的に侵略行為を行って当該地域の軍隊、準軍隊ないし武装勢力と戦争を行った交戦地を含む。それゆえ、大陸だけではなく、太平洋地域も含む。それは、主に日本の戦争と植民地支配にかかわる歴史的概念である。1945年、日本軍国主義の敗北後、東アジア諸民族、諸人民は独立、民族解放を迎え、戦争と職金地支配の傷跡の克服を最優先の課題としたが、超大国が自国の軍事的政治的経済的利益を最優先させた世界的冷戦が始まり、その努力を押しつぶした。つまり、アメリカは自国の軍事戦略遂行のために日本をその協力者とするために、旧日本軍国主義の解体を中断し、東アジアに対する日本の過去清算を免除することによって、日米同盟による地域支配ヘゲモニーを形成した。その結果、第二次大戦後においても、帝国主義支配によって外部から規定された「東アジア」地域支配秩序は冷戦の壁によって保護され、日本の過去清算の不履行によって、日本は歴史的債務を引き継いだ。

2 東アジアと「大東亜共栄圏」

それゆえ、本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアとは、大日本帝国が軍事的、政治的、経済的、文化的に支配した、ないしは支配しようとした「大東亜共栄圏」と地理的に重なるが、それに限られるものではない。本宣言の基本精神において、「大東亜共栄圏」に現れている「生存圏(生命線)」を主張し地域支配を企てる帝国主義的発想は批判的克服の対象である。

3 東アジアの被害者

本宣言と行動計画の目的にとって、東アジアにおける「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容(以下「人種差別等」)」の被害者とは、これらの災悪の影響を受け、被り、目標とされている、または目標とされてきた個人または個人の集団であると宣言する。すなわち、植民地主義と侵略戦争が人種主義や人種差別を正当化する「文明と野蛮」の論理による、「西欧(=日本)文明国家優越論」により支えられてきたので、植民地主義と侵略戦争の被害者とは人種主義や人種差別の被害者である。

4 人種差別の複合性

東アジアにおける人種差別等が、「西洋(=日本)文明国家」優越論」に基づく人種、皮膚の色、門地(世系)またはナショナルないしエスニックな出身の差別に基づいて発生し、被害者は、性、言語、宗教、政治その他の意見、社会的出身、財産、出生、またはその他の地位などの関連のある理由に基づいて、複合的でいっそう悪化する差別を被る。

5 優先事項としての人種差別等との闘い

東アジアにおける「西欧(=日本)文明国家優越論」に基づく人種差別等、および、すべてのそうした憎むべき発展した諸形態や現象に対する世界的な闘いが、東アジア地域の国際共同体にとって優先事項である。本宣言と行動計画が、人道を破壊するそれらの悪のすべてを廃止するために、とりわけ、国内、地域、国際レベルで、革新的全体的アプローチの導入と実践的効果的措置の強化・増大を通じて、論評し確定する独自の機会をつくり出す。

6 歴史的人権の回復

とりわけ、「大東亜共栄圏」とその形成過程において、大日本帝国によってなされた不正義と系統的な破壊、せん滅、人道に対する罪、戦争犯罪に対する東京裁判における清算の試みが不十分であり、特に民間の犠牲者と冷戦の壁で遮断された被害国に対して意図的にサボタージュされたことに留意して、歴史的人権の回復がなされることを強く要請し、東アジアにおいて正義が回復されることが、東アジア地域における平和と諸民族、人民の和解・協力のために必須である。

7 東アジア諸人民の平和の課題

東アジアの歴史における不正義が今日における民族や国家の分断と対立をもたらし、深刻な軍事的対立と危機をもたらしている。その葛藤と分裂を解消し東アジア地域における平和を実現することが緊急の課題である。特に朝鮮半島の分断・戦争状態を終焉させる平和体制の確立と「東北アジア非核地帯」の実現が当面最大の課題であり、東アジアにおいて軍事的緊張緩和・軍縮を進め、不戦・非武装の理想を実現するためにまい進することがこの地域諸民族・人民の共通の課題である。

8 多文化主義

連帯、尊重、寛容、多文化主義の価値をとくに重要視し、それらが東アジアにおける人種差別等との闘いに道徳的根拠と示唆を与えることを確認する。

9 自由・尊厳・平等

人間はすべて、自由に、かつ、尊厳と権利において平等に生まれ、その社会の発展と福利に建設的に貢献する能力を有する。いかなる人種的優越の理論も科学的に誤りであり、道義的に非難されるべきであり、社会的に不正義であり、危険であり、人種間の差異の存在を決定しようとする試みとともに、拒絶されねばならない。

10 精神性の意義

宗教、精神性、信仰は、多数の女性と男性の人生、その生き方や他者の扱い方において中心的役割を果たすと認める。宗教、精神性、信仰は、人間の固有の尊厳と価値の促進と、人種差別等の根絶に貢献することができる。先住民族や植民地人民に対する宗教や信仰の剥奪、およびそれらの強要は人種主義や人種差別の一形態となる。

11 人種差別等を悪化させる要因

東アジアにおける人種差別等が、富の不公平な配分、周縁化および社会からの排除によって悪化させられることに懸念をもって留意する。

12 社会的国際的秩序

何人も、すべての人権がすべての者に差別なく完全に実現される社会的国際的秩序を保障されることを再確認する。

13 グローバリゼーションの二面性

グローバリゼーションの過程において、人々に大きな機会が提供される一方で、現在、その利益は不公正に配分され、そのコストは不公正に配当されている。これらの効果は、とりわけ、貧困、低開発、周縁化、社会からの排除、文化支配、経済不均衡を悪化させ、これらが国家内や諸国家間で、人種の境界に沿って発生し、不利な影響をもたらしている。

14 グローバリゼーションの結果

グローバリゼーションの結果として、東アジアにおいて、特に南から北への、領域内外の移住が増加していることを認め、移住についての政策は人種差別等に基いてはならないことを強調する。




企画・全文

呼びかけ人

構成

2010年4月16日UP
宣言・前文(第一次案)2010年4月16日

宣言・Ⅰ 総論(第一 次案)

宣言・Ⅱ 原因と形態 (第一次案)  

宣言・Ⅲ 差別の被害者(第一次案)

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の一

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の二

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の三

「宣言および行動計画・構成案」  2010年4月18日アップ

6.24第一回公開検討会の案内

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# by e-asia-hhpa2 | 2010-06-14 09:06

「宣言」Ⅱ 第一次案

「東アジア歴史・人権・平和宣言」Ⅱ(第一次案)

(2010年4月16日) 7.5修正 7.12アップ


Ⅱ 東アジアにおける「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容(人種差別等)」の源泉、原因、形態、現代的諸現象

15 奴隷制と人道に対する罪

日本軍性奴隷制(従軍慰安婦)に代表されるように、東アジアにおける奴隷制と奴隷取引は、その耐え難い野蛮のゆえにだけではなく、その大きさ、組織された性質、とりわけ被害者の本質の否定ゆえに、人類史のすさまじい悲劇であった。奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪であり、人種差別等の主要な源泉である。アジア人とアジア系人民、および先住民族は、これらの行為の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けている。

16 植民地主義と人種差別等

東アジアにおける植民地主義が人種差別等をもたらし、アジア人とアジア系人民、および先住民族は植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める。植民地主義によって苦痛がもたらされ、植民地主義が起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねばならないことを確認する。この制度と慣行の影響と存続が、今日の東アジアにおける社会的経済的不平等を続けさせる要因であることは遺憾である。

17 ジェノサイドと人道に対する罪

朝鮮半島における日本の植民地戦争に対して抵抗した東学農民、義兵、独立抗日軍に対する殺戮や、台湾原住民に対する系統的な抹殺政策、中国における三光作戦に代表されるジェノサイドは人道に対する罪であり、人種差別等の主要な源泉と現象であることを認め、これらの行為によって語られざる悪事と苦痛が引き起こされ、それが起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は予防されねばならないことを確認する。人道に対する罪が武力紛争時に行われることが多く、それが抗弁として持ち出されがちであることに留意し、武力紛争中であることが人道に対する罪の抗弁とならないことを認める。

18 同化政策と外国人排斥

植民地人民や占領地人民に対する差別政策や同化政策、さらには現代の移住者、難民、難民申請者など国民でない者に対する外国人排斥が、現代の人種主義の主要な源泉の一つであり、この集団構成員に対する人権侵害が差別、外国人排斥および人種主義の慣行の文脈で広く発生していることを認める。

19 人種差別等の促進要因

貧困、低開発、周縁化、社会からの排除、経済不均衡は、人種差別等と密接に結びついており、さらなる貧困を次々に生じさせる人種主義的態度と慣行の存続につながる。

20 人種差別等と武力紛争

東アジアにおける人種差別等が武力紛争の根源の一つであり、武力紛争の帰結として生じることが非常に多いことを認め、非差別が国際人道法の基本原理であることを想起する。

21 政治制度・法制度の問題点

住民が多民族・多文化・多言語であるのに、政治制度・法制度がそれに対応していない国家があり、多くの場合、先住民族を排除する差別の主要因となっていることに深い懸念を表明する。日本における先住民族の文化や言語に関する政策にもおなじことが当てはまる。

22 先住民族の定義

本宣言と行動計画で用いられる「先住民族」という用語は、2007年9月13日、国連総会で採択された「先住民族権利宣言」およびその作成過程、およびILO先住民族条約における用例に従う。

23 不処罰を終わらせる

人種差別等によって被害を受けた個人や集団の人権と基本的自由の侵害についての不処罰を終わらせる必要を確認する。国家に、人道に対する罪の実行者を捜査させ、訴追させ、処罰させることは市民社会の権利および義務である。

24 人種差別と現代的コミュニケーション

人種主義が根拠を得ている事実のほかに、人種主義・外国人排斥の現代的形態と現象が、ある種の政党や政治機関の綱領、人種的優越の観念に基づく見解の現代的コミュニケーション・テクノロジーによる散布によるなど、多くの方法で政治・道徳・法的認知を回復しようとしていることに懸念を表明する。

25 奴隷制の現在

アジア女性に対する強制労働や中国人研修制問題に代表されるように、日本の一部にいまだに奴隷制と奴隷類似慣行が存在している事実を強く非難し、重大人権侵害であるこうした慣行を終わらせるために優先事項として即座に措置をとる必要がある。

26 人身売買の被害

東アジアにおける女性と子どもの人身売買を予防し、これと闘い、廃止する緊急の必要を確認し、人身売買の被害者が特別に人種差別等にさらされていることを認める。



企画・全文

呼びかけ人

構成

2010年4月16日UP
宣言・前文(第一次案)2010年4月16日

宣言・Ⅰ 総論(第一 次案)

宣言・Ⅱ 原因と形態 (第一次案)  

宣言・Ⅲ 差別の被害者(第一次案)

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の一

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の二

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別・其の三

「宣言および行動計画・構成案」  2010年4月18日アップ

6.24第一回公開検討会の案内


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# by e-asia-hhpa2 | 2010-06-13 09:12

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)  前半  

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)
      ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史 前半


1 2010年は韓国併合100年に当たり、韓国併合による植民地支配の反省を訴える日本の市民によるさまざまなアピール、集会、学習会の取組みがなされていることを歓迎する。しかし、同時に、日本政府による朝鮮人差別や、日本社会における心ない差別と排外主義が噴出していることを指摘せざるをえない。

2 2010年4月、日本政府は高校無償化を導入したが、朝鮮学校への適用を見送り、朝鮮学校の教育課程を確認するという名目で第三者委員会なるものを設置したという。背景には、2010年2月の大臣発言に始まった政治問題化があり、政治問題を教育現場に持ち込む差別的処遇がなされている。2010年2月24日、人種差別撤廃委員会において差別への懸念が語られた。3月11日、同委員会は、同様に朝鮮学校排除と政治問題化を差別的な影響をもたらすものと指摘した。さらに2010年5月28日、子どもの権利委員会においても同様の指摘がなされた。それにもかかわらず、日本政府は差別政策を取り続けている。

3 朝鮮学校に対する差別政策は、一貫して長期的に採用されてきた。朝鮮高級学校卒業生の大学受験資格問題では、文部科学省がしつように朝鮮学校排除を推進してきた。多くの私立大学においては、「高等学校に準じる」規定の適用によって受験を認めてきたのに対して、文部科学省はこれを否定し、とりわけ国立大学には受験させないように規制してきた。今日では国立大学も朝鮮学校卒業生の受験資格を実質的に認めているが、必ずしも文部科学省の差別政策が変化したわけではない。

4 人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告でも言及されているように、助成金や免税措置についても、朝鮮学校に対する差別が続いている。中央政府による助成金は終始一貫して皆無である。一部の地方自治体による助成金があるが、金額は僅かである。朝鮮学校への寄付金についての控除(免税措置)が認められていない。アメリカン・スクールなど外国人学校にも認められているのに、朝鮮学校だけを排除している。

5 日本政府による差別は、1948年の阪神教育闘争、1965年の文部省通達、1968年以後の外国人学校法案問題、1995年に解決したJR通学定期券差別、看護士資格差別など、現象形態は時期によりさまざまに変化してきたが、一貫して続いている。近年の重要な変化は、かつては朝鮮学校を含む外国人学校と日本学校との間の差別であったが、最近では、朝鮮学校とその他の外国人学校の間にも差別を設けて、朝鮮学校だけを徹底的に差別する方針が貫かれていることである。

6 日本政府による朝鮮人差別の根幹には、在留資格問題と出入国管理問題があった。ここでも近年、変化が見られる。それは、差別政策の動因がもっぱら朝鮮人差別と管理であった時代と異なり、最近では新たな移住者に対する差別と管理が前面に出てきていることである。永住者とそれ以外の外国人との間の差別がたくみに設けられている。2009年の新在留管理制度関連法も、外国人の管理と選別を目的としている。

7 国民年金差別も日本政府によって一貫して採用されている。かつては朝鮮人全体を年金制度から排除していた。1982年改正により、朝鮮人も年金制度の適用を受けるようになったが、必要な経過措置が採られなかったことにより、朝鮮人高齢者と障害者について差別が産み出されることになった。もっとも必要な人に対する年金が消されてしまった。2001年8月の「経済的社会的文化的権利に関する国際規約」に基づく社会権規約委員会による是正勧告、2008年10月の「市民的政治的権利に関する国際規約」に基づく自由権規約委員会による是正勧告にもかかわらず、日本政府は差別政策を改めようとしない。

8 東京都による日比谷公会堂使用拒否に見られるように、朝鮮人の公的施設使用に対する拒否が行われている。同時に民間施設においても、朝鮮人に対する使用拒否、使用許可の取り消しが行われることがある。東京都による使用拒否は、裁判所による救済があったので、日本政府が差別を行ったわけではないが、日本政府によるさまざまな差別に便乗・同調して、地方政府が朝鮮人差別を露骨に行った事例である。それが民間施設に対しても負の影響を及ぼしている。金剛山歌劇団の文化公演に対する妨害も行われている。

9 日本社会における差別も枚挙に暇がないが、今日、注目しなければならないのは、新たな排外主義と差別の煽動の顕在化である。社会の底流に存在してきたさまざまな陰湿な差別とは別に、朝鮮人組織、朝鮮学校などに押しかけて暴力行為や差別発言を繰り返す、ヘイト・クライム(憎悪犯罪)がはびこっている。中国人やその他のアジア系外国人に対しても暴力、恫喝、嫌がらせが続いている。

10 2009年12月4日、在特会(在日特権を許さない市民の会)と称するヘイト・クライム集団が、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、同校がグランドとして使用していた公園で騒ぎ、器物損壊、差別、名誉毀損、侮辱の言説を撒き散らし、強要、恫喝を繰り返した。日本の市民による在特会に対する抗議行動も広範に取り組まれているが、警察は在特会を取り締まることなく、その後も犯罪的行為が継続している。2010年2月14日および3月28日にも、在特会などは京都朝鮮第一初級学校に向けての排外主義のデモ行進を行った。

11 2009年11月、在特会は、東京都小平市の朝鮮大学校にも押しかけ、同校正門前で朝鮮人差別の煽動行動を繰り返した。同様に、在特会は、東京、福岡など各地にある在日本大韓民国民団本部や支部に押しかけ、誹謗中傷を繰り返してきた。名古屋市立博物館における歴史展示を妨害し、京都府のウトロ地区や大阪市の生野地区など朝鮮人集住地域において排外主義デモを行い、民族差別の言辞を撒き散らしてきた。在特会は、埼玉県蕨市においてフィリピン人家族に対する排外主義デモを行ったのを手始めに、東京秋葉原でも排外主義デモを行い、東京池袋における中国人商店に対しても営業妨害行為を行うなど、朝鮮人、中国人、その他の外国人に対する差別行為を続けている。

12 在特会に代表される排外主義と差別の隆盛については、日本経済の落ち込みと不況による失業や労働の不安定化、不安定雇用の底辺に置かれた若者の不安とストレス、経済大国から脱落しつつある日本の現状への不安とこれに呼応したナショナリズムなど、さまざまな要因が指摘されている。同時に、1990年代に本格化した、日本軍性奴隷制問題を典型とする戦後補償要求運動(日本による侵略戦争や植民地支配に関連する被害者個人への補償要求運動)への政治的反動、感情的反発に由来する歴史の歪曲、歴史教科書問題などに関連するイデオロギー的逆流現象があったことも忘れてはならない。

13 1990年代における「従軍慰安婦論争」「南京大虐殺論争」「歴史教科書論争」は、日本の侵略戦争や植民地支配の責任を逃れ、そのために侵略戦争や植民地支配を美化し、事実を歪曲・隠蔽し、被害者を侮辱し中傷する政治傾向を生み出した。テレビ・映画・音楽などの文化的分野における「韓流」ブームにもかかわらず、政治的には「嫌韓流」が意図的に作り出され、日本の歴史と伝統の誇りを呼号する「愛国心」が叫ばれるようになった。

14 その結果として、「愛国心」に反すると見做されたすべての人々や出来事を「反日」と断罪し、激しい攻撃が加えられるようになった。朝鮮人、中国人、アジアやラテン・アメリカからの移住者、難民認定申請者に対する排外主義と差別は、在日朝鮮人の人権、戦後補償運動、移住者の権利、難民認定申請者への支援運動を行っている日本人に対しても、激しい敵意をむき出しにした攻撃を続けている。東京都三鷹市における「慰安婦」展、兵庫県宝塚市や西宮市における「従軍慰安婦」問題の解決を求めるアピール行動に対する妨害行為がその代表である。こうした差別と排外主義に反対して立ち上がった市民に対しても、2009年12月19日、東京都飯田橋で開催された集会や、2010年3月28日、京都市河原町で行われたデモ行進などに対して、在特会は実力行使による妨害行為を続け散る。

15 他方、不動産業者および地主による、朝鮮人を始めとする外国人に対する賃貸ビル・アパート・マンション入居差別が、長期にわたって報告されてきた。社会的差別も、時期によりさまざまな現象形態となって現れる。高等学校体育連盟によるスポーツ大会への朝鮮学校参加、JRによる朝鮮学校生徒の通学定期券除外問題などは1990年代に解決したが、クレジット・カード入会、ゴルフ場会員権などにも差別が発覚することがある。銭湯における入浴禁止、公共プールにおける利用禁止、一般商店における入店禁止など、各地で異質な他者に対する敬遠・偏見に由来する行為が報告されている。

16 現在の日本国家による差別と日本社会における差別は、それぞれ無関係の別個のものではなく、相互に支えあって構造的差別を形成している。国家による差別が、社会における差別と不寛容に根拠を与えている。政府が公然と差別をしている社会では、一般の人々にも差別が許されているというメッセージが常に発せられている。政府の言明とマスメディアの伝達により、差別がいっそう強化されている。社会におけるさまざまな差別現象は、政府が日本国憲法と国際人権諸条約に基づいて適切に対処しなければならないが、日本政府は、それどころか社会的差別を温存することにより、政府の怠慢を弁解している。社会的差別が国家による差別の正当化、無視、隠蔽を支えている。

17 現在の日本国家による差別と日本社会における差別の原因と形態は、本宣言   でも触れたことであるが、差別の現代日本的形態を的確に理解し、被害者の状況を把握するためには、近現代日本史の総体的分析を必要とする。

18 東アジアにおける人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の被害者を明らかにするという、本宣言に必要な限りで考察する場合にも、近代日本による植民地主義の歴史が中軸にすえられる必要がある。近代日本における植民地主義は、少なくとも、第1に、台湾や朝鮮半島に対する侵略戦争(植民地化戦争)、第2に、植民地化した地域における植民地政策、そして最後に脱植民地過程(とりわけ植民地責任の未清算)の3つの局面にわたって検討される必要がある。

19 本宣言において用いられている「朝鮮人」という言葉そのものが、このような日本の植民地主義の変遷過程によってさまざまに刻印され、多義的で、かつ論争的な言葉となってきたことを指摘しておかなければならない。在日朝鮮人、在日韓国人、在日朝鮮・韓国人、在日コリアンなどさまざまな呼称が用いられ、時に激しい論争を必要とすることになったこの言葉は、日本による植民地化戦争、植民地政策そして脱植民地過程を通じて、変容してきた歴史的諸関係を反映している。本宣言では、「在日朝鮮人」を、朝鮮半島出身者およびその子孫を指す言葉として用いるが、これらの言葉をめぐる定義問題に立ち入らない。

20 日本による朝鮮植民地化は、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争や、江戸時代におけるさまざまな朝鮮侵略思想といった底流を持つが、近代における植民地化は、屯田兵によるアイヌモシリ(蝦夷=北海道)日本編入、小笠原諸島の日本編入、琉球処分に始まる沖縄県設置と続いた「国内植民地」の時期を経て、台湾および朝鮮半島に触手を伸ばす対外的進出として具体化した。「日清戦争」が終結した後、大日本帝国は、1895年10月、ロシアの影響排除を目的として朝鮮政府の権力構造に実力で介入し、朝鮮王宮に進攻し朝鮮政府軍、官僚、女官、王后を虐殺した。現場首謀者はソウルにおける外交の最高責任者、領事・三浦梧桜以下であり、日本軍と連携をとり景福宮に侵入した。これらの行為に対して日本政府による真相究明はいまだ取組まれていない。

21 乙未事変(ウルミサピョン)と朝鮮政府内での前年からの甲午改革(カポケピョク)による近代的改革の推進に対し、朝鮮民衆は義兵闘争を起こした。
22 1904年、ロシアと日本の緊張が高まり、「日露戦争」を開始し、1897年に国号を変えていた大韓帝国に対して、軍事力を背景に「議定書」、「日韓協約」を強制締結させた。1905年、日露戦争の収束後、日本は一方的な「乙巳保護条約」と言われる「保護条約」を「特派大使」として乗り込んだ伊藤博文が大韓帝国皇帝・高宗(コジョン)を威嚇し、武力示威を後ろ盾に調印を強要した。これらの強制的な「保護条約」により、日本による強制占領が開始された。これに対して、1907年、高宗はオランダ・ハーグで開催された第二回万国平和会議に秘かに特使を派遣し、乙巳条約の不法と強要、侵略を世界に広く知らせようとした。しかし、日本は天皇陸仁の名のもと高宗皇帝を息子に強制譲位させ、軍隊を解散させ、内政権を掌握する協約締結を強要し占領政策を強化した。朝鮮民衆は義兵の決起を続け、軍人の抗日闘争が起きソウル市内で日本軍と市街戦になり、軍人は義兵部隊に合流した。義兵戦争が拡大し、抗日戦争となった。義兵の戦死者2万人、民衆へのジェノサイド数万人ともいわれる日本軍の暴力支配の究明が求められる。「日清戦争」「日露戦争」とは、日本側の呼び名にもかかわらず、朝鮮植民地化のための侵略戦争であった。

23 1909年10月26日、安重根(アン・ジュングン)はハルビン駅構内で伊藤博文・朝鮮統監府前統監を射殺した。日本外務省管轄下にある関東都督府地方法院における審理で、安重根は、侵略者・伊藤博文の罪を予審訊問や法廷で述べ「国土と民衆」を蹂躙したこと、韓国と東洋の平和が侵害されている現実とその責任を挙げ「東洋平和論」を述べた。しかし、1910年3月26日、殺人の罪で処刑された。同じ1910年、日本では天皇殺害計画があったとして社会主義者たちを壊滅させる大弾圧として大逆事件が「発覚」した。幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件の弾圧と、韓国強制併合は同時進行であった。

24  1910年8月22日、日本はソウルにおいて、日本軍の圧力の下に、大韓帝国に併合条約を強制締結させた。

25 日本による朝鮮総督府は三権を掌握し、憲兵・警察を駆使した暴力支配で日本への同化主義を採用し、朝鮮人による新聞・雑誌発行を認めず、宗教以外の自主的社会活動を認めず、占領、植民地支配を徹底した。これに対して、朝鮮人民は、抗日独立運動の闘いを継続した。

26 日本は、国策会社であり天皇・皇族が大株主の東洋拓殖会社に、政府補助金により土地の買収を進めさせた。1910~18年の「土地調査事業」で日本が接収した土地のうち1万1400町歩が、東洋拓殖会社に現物出資され、植民地経営の一翼として朝鮮人小作農に貸し付け、最大の地主として植民地支配を支えることになった。農民は過酷な条件により生活を圧迫され、離農を余儀なくされ、移住労働者にならざるを得なかった。

27 1919年のパリ講和会議で、「民族自決」「植民地問題の公正解決」が国際的な議論となった。日本に留学していた朝鮮学生は、この国際情勢を独立の機会と考え、「朝鮮青年独立団」を組織し、独立宣言書と決議文を発表した。民族の生存権を主張した「2・8独立宣言」である。かくして「3・1」独立運動が決起した。パコダ公園に学生・市民が集まり独立宣言書を朗読し、太極旗をもち、「独立万歳」を叫んで市内で示威運動を展開し た。宣言書は「吾等はここに朝鮮が独立国であること、朝鮮人が自主の民であることを宣言する」に始まり、「侵略主義、強権主義の犠牲となって10年の間に生存権が奪われたこと。子孫に安全な幸福を導き迎えるには民族的独立を確実にする」と記された。


 後半 28から54に続く
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# by e-asia-hhpa2 | 2010-06-11 09:41

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)   ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)
      ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史
29 このため、斉藤実・朝鮮総督は、暴力支配を根幹とする治安維持政策とともに、朝鮮民衆への懐柔と分断政策を進めた。この時期、民衆は新たな抵抗運動を組織し、集会・結社・言論活動を広げ、労働運動、農民運動、衡平運動を闘い始めた。同時期の日本本国の民衆による1918年の女性たちの決起を契機とした米騒動、1919年の労働運動の勃興、1920年の朝鮮民衆も参加した「日本社会主義同盟」の結成と、天皇制国家権力に対する闘いにおいて、朝鮮民衆と日本民衆の相互影響、共同闘争の萌芽を見ることができる。

30 その後、朝鮮独立運動は中国に展開し、臨時政府として上海に統合された。中国東北部の間島地方での武力闘争も続けられた。日本軍は、1920年8月、「間島地方不逞鮮人焦土計画」を立てたが、同年10月、金佐鎮部隊が青山里において日本軍に壊滅的打撃を与えた。その報復として、日本軍は、1921年4月まで間島地方の朝鮮人村落においてジェノサイドを敢行し、当初の2ヵ月間だけで殺害3600余名、婦女強姦70、家屋放火3200軒との報告に見られる暴虐を行った。

31 1923年1月、独立活動家・申采浩(シン・チェホ)起草による義烈団の「朝鮮革命宣言」は、独立闘争の理念と具体的行動を宣言した。それまでの強制条約批判、独立宣言を踏まえているが、民衆における階級問題や親日派への批判を明確にし、3・1独立宣言の限界を越える内容としていた。

32 1923年9月1日、日本の「帝都」東京周辺において関東大震災が起きた。政府、軍隊は、震災発生直後に戒厳令を施行するとともに、在留朝鮮人を脅威とするデマゴギーを流布した。震災直後から、軍隊や警察による朝鮮人虐殺が始まり、官憲の命令や教唆によりつくられた民衆による自警団の手による虐殺も含め、少なくとも6000人余りが虐殺され、「関東大震災朝鮮人ジェノサイド」となった。

33 1930年代以降も、中国東北部でのコミューンを拠点にした独立闘争、民族主義の立場での抗日戦争、中国や台湾、日本国内における闘争は続いた。一方、日本の「大東亜共栄圏」の版図は、抗日戦争、独立闘争を担う朝鮮の人々にとって戦場であり 義烈団や民族主義団体、社会主義グループによる抗日武装闘争、さらには数知れぬ名もなき民衆による非協力・不服従の抵抗が、取組まれた。

34 大日本帝国の民衆弾圧は、本土・国内においては治安維持法=特高警察体制、大逆罪弾圧として現象し、朝鮮植民地支配における軍事暴力と対をなしていた。台湾や朝鮮を侵略し、植民地支配、占領した日本は、本国刑法を支配地において準用し、民衆の動きを徹底弾圧した。これに対して、独立活動家の一部は大日本帝国の中枢、天皇を攻撃目標とした。

35 朝鮮の労働者は、不当な違約金徴収、日本人との賃金格差も極端化し、賃金労働者の生活は困窮した。1921年、釜山の埠頭労働者争議を皮切りに争議が増加した。なかでも1929年の元山ストライキは最大の争議となった。しかし、警察や日本軍400名の動員により弾圧された。朝鮮人労働者を主体とする労働運動、組合結成、争議は日本国内でも取組まれ、朝鮮では光州学生闘争、新幹会の結成など民衆闘争も持続された。

36 日中戦争の激化からアジア・太平洋戦争への進展に伴い、1938年には、大政翼賛組織の国民総力朝鮮連盟が結成され、中央本部は朝鮮総督府に置かれ、朝鮮人労働者、軍人、軍属の「皇国臣民」化を進めた。中国侵略完遂のため、朝鮮民衆を大日本帝国に組み込むため、創氏改名、「東方遥拝」、「君が代」斉唱、「日の丸」掲揚、「御真影」と称する天皇の肖像への礼を強要した。朝鮮での徴兵実施に向け、1941年、朝鮮総督府は朝鮮語の学習を廃止し、「国語」として日本語使用を強制した。戦時体制強化のため「陸軍特別志願兵令」を公布し、徴用令その他様々な手段を通じて強制連行・強制労働を行った。最悪の軍事的性暴力であった日本軍性奴隷制(従軍慰安婦)も朝鮮女性を最初の犠牲者とした。

37 日本による朝鮮侵略(植民地化戦争)と植民地支配のもとにおける被害は、計量不能である。この間の人的被害については、虐殺や逮捕の数を推定することはできる。強制連行・強制労働や性奴隷制被害者の数も推定することはできる。しかし、被害は、虐殺や強制連行だけではない。政治的弾圧、経済的搾取、文化破壊、これらを通じた家族崩壊、人格への打撃は、およそ計量化することができない。朝鮮民族全体に対する甚大なジェノサイドの被害は、数値化不能である。物的損害も同様である。土地調査事業、地下資源の収奪はもとより、あらゆる可能性が収奪、略奪、破壊、消尽された。

38 日本による朝鮮植民地支配に異論を唱えた民衆は、僅かであるが、実在した。石川啄木、金子文子、布施辰治、槇村浩・・・などの名前を歴史に刻むことも忘れてはならない。それは朝鮮に肩入れした日本人がいたことを誇るためではない。朝鮮を始めとするアジア民衆と真に連帯し、友好を築き上げる日本人の責任を喚起するためである。

39 今日も続く在日朝鮮人に対する差別は、以上の植民地主義の帰結であり、日本の脱植民地過程が植民地支配を清算することなく、あいまいにされた結果でもある。第二次大戦敗北後、日本は連合国による占領下に置かれ、人権指令による戦後民主化、日本国憲法の制定、極東国際軍事裁判所(東京裁判)による一部の戦犯裁判を経た。しかし、大日本帝国の侵略戦争と植民地主義の最大の責任者であった天皇の責任が問われることなく、天皇は象徴天皇に移行した。極東国際軍事裁判所に朝鮮人民の代表者は招待されず、日本による朝鮮人民に対する犯罪が裁かれることもなかった。アジア各地におけるいわゆるBC級裁判においては、日本国家の犯罪の責任が朝鮮人に押し付けられた。連合国は朝鮮人民を、一方では解放された人民としながら、他方では監視と抑圧の対象とした。その結果、日本は朝鮮植民地支配の責任を問われることなく、領土の喪失という形での脱植民地過程を経ただけであった。

40 日本民衆の間でも、第二次大戦末期における連合国による空襲、ヒロシマ・ナガサキの被曝、および、樺太、旧「満州」、朝鮮半島など植民地からの引揚者の苦労話など、日本人の「被害」のみが語られることになった。日本が侵略したそれぞれの地の人民の苦難は省みられることがなかった。強制連行され、アジア各地に放置された朝鮮人のことも、日本人は速やかに忘れた。

41 第二次大戦後、日本政府は迅速に在日朝鮮人差別政策を推進した。最初に行ったのが、大日本帝国最後の勅令(ポツダム勅令)である1947年5月2日の外国人登録令であり、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」として、それまで日本国籍を押し付けられて日本人とされてきた朝鮮人を一方的に外国人とした。朝鮮半島が政治的混乱状態にあったこともあり、当時60万人を超えたといわれる在日朝鮮人が、その意思を問われることも選択権を認められることもなく、一夜にして無国籍者とされるという、世界史上まれに見る暴挙であった。

42 1947年10月、連合国最高司令官の指令によって、在日朝鮮人が日本の教育基本法、学校教育法のもとに置かれることになった。1948年1月24日、文部省学校局長は通達「朝鮮人設立学校の取扱いについて」を出し、在日本朝鮮人連盟などが朝鮮民族の教育を行うために各地につくった国語講習会を閉鎖し、朝鮮人を日本学校に組み入れることにした(「朝鮮学校閉鎖令」)。これに対して、大阪府、兵庫県を中心に、朝鮮人は民族教育を守る闘争を展開した。1948年4月の阪神教育闘争とは、朝鮮民族が民族教育を求めて立ち上がり、これに日本人も協力して、大衆闘争として展開された。しかし、アメリカ軍憲兵や日本の武装警官隊により暴力的に弾圧され、朝鮮人1名が殺害され、数多くの負傷者と逮捕者を出して収束した。公安資料によると検挙者は7295名であった。同年5月5日、文部省は朝鮮学校を私立学校として認可すると認めた。

43 在日朝鮮人に対する差別は、朝鮮半島の政治的分断、とりわけ朝鮮戦争という複雑な要因により、いっそう特殊な形態を与えられた。第二次大戦終戦の歴史的経過の中で、38度線(軍事境界線)による分断が始まった。1948年8月15日、朝鮮半島南部に大韓民国が樹立されると、同年9月9日、北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立した。1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発し、南北、およびアメリカ、中国による激烈な現代戦が戦われた。1953年7月27日に休戦協定が締結されたが、今日に至るまで和平が実現されていない。朝鮮半島の分断、とりわけ朝鮮戦争が、日本にとってもった意味は、まず何よりも植民地支配の清算を一切行わずに済んだことである。ドイツと異なって、敗戦国の日本は分断されることなく(ただし、沖縄等の問題は別に残る)、朝鮮半島が分断されることになった。さらに、日本は朝鮮戦争による特需によって経済復興を果たすという僥倖に恵まれた。しかも、日本列島は朝鮮戦争に出撃するアメリカ軍の軍事拠点となり、その後のアジアに対する軍事侵略の拠点につながった。日本政府は、朝鮮半島分断を奇禍として政治利用し、アメリカの意向に従って大韓民国に肩入れした。同時に、在日朝鮮人に対する分断が始まった。
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# by e-asia-hhpa2 | 2010-06-09 19:41